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ググッと考える!

大手法律事務所の弁護士から株式会社LiBに移籍! https://www.libinc.co.jp

【3ヶ月の実践で学んだ】組織のナレッジ共有を加速させる5つのステップ

 

1月からの3ヶ月間、所属する組織の中で「成果を出すためのノウハウや知見がメンバー相互間で共有・活用される環境が整っていない」という課題に取り組んだ。
そこで「個人の暗黙知を組織の共有知(=ナレッジ)に昇華させ、その共有知により組織のメンバーが成長する仕組み作り」をテーマとし、様々なことを試した。仮にこれをナレッジマネジメントと呼ぶとすると、その具体的な手法を考える前提として、この3ヶ月間で、以下のような学びを得た。

※           ※            ※

例えばここに、10人のセールスチームが2つあったとする。チームAではナレッジマネジメントが機能しておらず、チームBではそれが実践されている。

さて、ナレッジマネジメントが機能していないチームAには、次のような事象が起こりがちだ。

【チームA】

  • メンバーのうち4人は順調に売り上げを伸ばしているが、残り6人は、成果を出せずに苦労している。4人が6人に「売れる方法」を伝えようとするものの、6人の成績は低空飛行が続き、成長の兆しが見られない。
  • チームに毎年入って来る新人のうち、勘がいい新人は入社後1ヵ月ほどで成果を出し始めるが、大半は1年ほど経ってようやく戦力化するスピード感である。

 
他方、ナレッジマネジメントが実践されているチームBでは、逆の現象が起きる。

【チームB】 

  • 成績トップのメンバーも最下位のメンバーも毎月売り上げを伸ばしているため、チームの成績は上がり続けている。
  • ほとんどの新入社員が入社後数ヵ月後に戦力化し、一人前と認められる活躍をする。

 
ナレッジマネジメントの本質は、金利複利効果と似ていると思う。
100万円をタンス預金していても何の意味もないが、それを複利で運用していけば、数年後には雪だるま式に資産が拡大する。ナレッジもこれと同じだ。


今回は、ナレッジマネジメントが組織内でグルグル回り出すためのステップについて考えてみた。大まかには、以下の通りだ。

ナレッジマネジメントの5ステップ】

暗黙知を言語化する(=ナレッジ化)

②ナレッジを組織で共有する(=共有知化)

③ナレッジを蓄積・格納する

④ナレッジへのアクセスを容易にする

⑤ナレッジの装着・活用フローを確立する

 
メンバーが持つナレッジがうまく横展開・活用されていない組織においては、①〜⑤のうちどこかが弱いのだろうと思う。打ち手を考えるには、自分の組織がどのステップに弱点を抱えているか(どのステップまではできていて、どこからはできていないか)を突き止めることが重要だ。


※           ※            ※

以下、5つのステップについて少し詳しく説明してみよう。 

ステップ① 暗黙知を言語化する(=ナレッジ化)

個人が持っているノウハウ・知恵・経験をコトバにすることにより、暗黙知「ナレッジ」という資産になる。これが個人レベルで行われているのがステップ①だ。

【①が未熟な組織】
そもそもナレッジという概念すらなく、組織・個人において再現性のある「成功の方程式」が生まれない。成績は各メンバーの資質と努力量に依存する。

 

ステップ② ナレッジを組織で共有する(=共有知化)

各メンバーのナレッジが組織全体に共有されることにより、「個人の資産」から「組織の資産」(共有知)に転換する。

【②が未熟な組織】
各メンバーが孤軍奮闘を続ける「個人プレー」の組織。偶発的にスタープレイヤーが生まれることはあっても、その知見やノウハウが組織の資産にならない。

 

ステップ③ ナレッジを蓄積・格納する

ナレッジが特定の場所に格納され、組織に蓄積される。格納の方法はテキスト(文章)だけでなく、映像や音声の場合もある。

【③が未熟な組織】
ナレッジが刹那的に組織内で共有されることはあるが、すぐに流れ去りメンバーからも忘れられる。新入社員は、ナレッジの存在すら知ることができない。

 

ステップ④ ナレッジへのアクセスを容易にする

蓄積されたナレッジが常に更新(最新化)され、誰でも簡単にアクセス(検索・閲覧)することができる。

【④が未熟な組織】
ナレッジを貯めることで満足しているため、せっかく蓄積された資産が使われない「宝の持ち腐れ」状態。③と同様、新入社員はナレッジの存在を知ることができず、ナレッジは文字通り腐っていく。

 

ステップ⑤ ナレッジの装着・活用フローを確立する

勉強会・ロールプレイ・抜き打ちテストなど、メンバー全員に最新のナレッジが装着される仕組みがフローとして回っている。メンバーは組織の資産であるナレッジを活用し、成長し続けられる。 

【⑤が未熟な組織】
各メンバーによりナレッジの活用度合いが異なる。ナレッジの重要性に気づいていないメンバーや新入社員はナレッジの恩恵を受けられない。

※           ※            ※


以上が、この3ヶ月間で学んだというか、気づいた内容だ。
この5ステップを視点に自分の組織を振り返ってみると、ナレッジに関する「健康診断」ができるのではないか。それぞれの打ち手については、追って記事にしたいと思う。


 

さよならだけが 人生ならば


昨日はLiBを3月で卒業する人たちの卒業式だった。来週からみんながオフィスにいないなんてまだ信じられない。

「寂しいな~」

なんて言ってる場合はないけど、やっぱい寂しいなぁ。


さて、この季節にしばしば目にするのが、井伏鱒二が訳したことでも有名なこの漢詩

 

『勧 酒』
コノサカヅキヲ受ケテクレ
ドウゾナミナミツガシテオクレ
ハナニアラシノタトヘモアルゾ
「サヨナラ」ダケガ人生ダ

 

本当にしみじみ来る…。これを読むだけでも涙があふれてくるんだけど、今日はもう一つ、「サヨナラだけが人生だ」という井伏さんの言葉を受けて寺山修司が作った詩をご紹介。
こっちの詩も、すごく正直で人間くさくて、大好きです。

 

 『幸福が遠すぎたら』 寺山修司

さよならだけが 人生ならば
また来る春は 何だろう
はるかなはるかな 地の果てに
咲いている 野の百合 何だろう

さよならだけが 人生ならば
めぐり会う日は 何だろう
やさしいやさしい 夕焼と
ふたりの愛は 何だろう

さよならだけが 人生ならば
建てた我が家 なんだろう
さみしいさみしい 平原に
ともす灯りは 何だろう

さよならだけが 人生ならば
人生なんか いりません 

 

今回は全然ググッと考えてないけど、まあこんな日もありますね(笑) 

 

愛嬌も可愛げもないなら、どこで勝負しよう?

 

同世代の起業家や社会で突き抜けた結果を出している人たちを見ていると、彼らの多くは、圧倒的に「人の懐にスッと入っていく技術」に長けているなぁと思う。「愛嬌」群を抜いていると言ってもいい。

彼らはいつでもチャーミングで周りの人を笑顔にし、自然と心を開かせる。愛嬌のあるコミュニケーションをとることができる人には多くの協力者が集まり、結果、物事がすごいスピードで進んでいく。

『人間通』という本の中で、著者の谷沢はこの素養を「可愛げ」と呼んだ。人から好かれ社会で事を成していくために、この「可愛げ」が必要な要素だという。

 

人間通 (新潮選書)

人間通 (新潮選書)

 

 

※           ※            ※

しかし、この「可愛げ」を一朝一夕で身につけるのは容易ではない。「自分には『可愛げ』があるから大丈夫だ!」と自信を持って言える人はそう多くないだろう。

なぜなら、愛嬌や可愛げは、ある種の天賦の才だからだ。
キラキラと輝いている(ように僕らからは見える)人たちの愛嬌や可愛げは、まさに天から授かったものであるように思えて仕方ない。いくら自分が頑張っても、彼らと同じようにはなれないと思ってしまう。

しかし、そんな僕たちに、谷沢は次のような言葉をかけてくれる。
 

可愛げそのものは自作自演できなくても、その一段下のところを目指すことは可能である。可愛げの次に人から好まれる素質、それは、律気、である。秀吉は可愛げ、家康は律気、それをもって天下の人心を収攬した。律気なら努めて達しうるであろう。律気を磨き上げればほとんど可愛げに近づくのである。

 

 

 

…なるほどなぁ

 



努力によって可愛げを身につけるのは簡単ではないが、「律儀さ」なら心がけ次第で演じきることができる。そして「あいつは律義なやつだなぁ」とか「丁寧な人だなぁ」と思ってもらえれば、それは可愛げと同じくらいに強い魅力になる。
可愛げが一瞬で点火できるマッチだとすると、律儀さはじっくりと人の心を温めることができる薪のような存在だ。律儀さは、「後からジワジワきいてくる」武器かもしれない。

そして、律儀さを演出するためのポイントは「杭を2本以上打つ」ことだと思う。

まず、「1本目の杭」を打つ。仕事で誰かと打合せをする際には、日程調整をメールでやりとりするだけでなく、お会いする少し前にご挨拶の電話をしたり、事前に有益な情報を送ったりする。

そして、「2本目の杭」を打つチャンスも常に狙い続ける。
打合せ後にテンプレ的なお礼メールを送ってから、さらに何か気の利いた情報を提供したり、心からのお礼の言葉や気づきを様々な方法でお伝えする。時にはアナログな手法の方が効果的な場合もある。

このように「2本の杭」が打たれた瞬間、相手の心の中では、杭と杭の間に「律儀さ」というロープが張られることになる。点と点がつながり、「律儀さ」という線になるのだ。

「私は律義な人間です」という一貫したメッセージを、2つ以上のアクションを通じて伝えることができる。

※           ※            ※

実際には日々の仕事の中で「律義」をキープし続けるのはなかなか大変で、ついつい「まぁいっか」が出てきてしまうのだけれど、それに打ち克てるかが勝負の分かれ目だと思う。天性の可愛げを持ち合わせていないのなら、ここで勝負するしかない。


丁寧に、律義に。


こういう戦い方も、きっと武器になる。

 

 

自分の気持ちに鈍感に、人の気持ちに敏感に。

 

昨日、会社で「自分の気持ちには鈍感に、人の気持ちには敏感になりなさい」という言葉をもらって、たしかになぁと思った。

考えてみると、自分は学生の頃からずっと自分の心や内面に興味があって、いろんな自問自答を重ねてきた。
それによって考えが深まったところもあるのだけれど、反面、意識の大半が「自分」に向けられ、周りをよく観察することが疎かになってしまった。
その結果、自分の中で反射的に生じる感情(「怒られたくない」「恥ずかしいのは嫌だ」「失敗したくない」…etc)に囚われ、本当にしたい・すべき行動にブレーキがかかっていたことがよくあった。

これからはまず、自分の感情に鈍感にならなければいけない。
言葉を替えると、心の中に生まれるマイナスの感情を「コントロールする」のが目下の目標だ。
感情が生まれてくることはどうしようもないし、悪いことではない。
問題は、その感情に自分自身が支配されていることだ。

生まれてくる感情を自分の支配下に置いて、自分の行動をコントロールする必要がある。感情に負けず、「役割を演じきる」ということでもある。

※         ※         ※

 
他方で、当たり前のことだけれど「人の気持ちに敏感になる」ことも大切だ。

これまでもできるだけ想像力を働かせて人の気持ちを想像したり、場の空気を感じ取ろうとしてきたけど、なかなか難しかった。
しかし今回、「人の気持ちに敏感になる」ことを「自分の気持ちには鈍感になる」こととセットで考えようとしたら、ヒントが見えてきたような気がした。

要するに、今まで「自分の気持ち」に向けてきた意識量の大半を、周りの「誰か」に向けてみるのればいいということだと思う。
(これまでは、「自分の気持ちに」ばかり意識を向けていたので、「人の気持ち」にまで向ける意識が足りなかったのかも…)
意識の重心を自分から相手にシフトすること、これができれば、目の前にいる人に喜んでもらうことができるし、もっともっと「人間はどういう生き物か」を知ることができるのではないかと思う。(それと同時に、自分の気持にも鈍感になれる)

できる人は簡単にできちゃうんだろうな。難しそうだけど、がんばろう…。

娘が大人になるまでに伝えたいこと

 

今月、娘が1歳になった。
普段から色んなことをしてあげられているわけではないけれど、彼女が大人になるまでに親として「伝えたいこと」というものがあるなぁと思った。
僕がいちばん伝えたいことは3つある気がする。

1つ目は、彼女は「生まれてきた」だけで愛される存在であること、
2つ目は、彼女は「努力や行動」によっても認められる存在であること、
そして3つ目は、人は自分自身を愛し認めることができる存在でなければならないことだ。

※       ※       ※


伝えたいことの1つ目は、子どもは「生まれてきた」だけで愛される存在であるということだ。
他の人より何か優れたところがあるという理由で、親は子どもを愛するわけではない。
彼女はただ生まれてきたことにより僕らから愛を注がれる存在なのであり、それは固い約束だ。
その安心感が、彼女の「根っこ」になると思う。

2つ目は、僕たち人間は「努力や行動」によっても認められる存在であるということだ。
人間は、一生懸命な行動、勇敢な行動、人を幸せする行動によって、誰かから感謝され、認められる。
その時に感じる喜びは、何事にも代えがたいものだ。
努力によって得られる喜びも、彼女にぜひ味わってほしいと思う。

3つ目は、人間はまず誰よりも自分自身の理解者となり、自分で自分を支えられるようにならなくてはいけないということだ。
僕たちがどんなに奮闘努力しようと、誰かが僕らを愛し、認めてくれるかどうかはわからない。
だから結局のところ、僕たちは自分を認めてあげる技術を学ぶ必要がある。
これは難しいし、僕もまだできていないけれど、とても大切なことだと思う。

※       ※       ※

きっと今は、僕たち親の表情や行動の一つ一つが、子どもへのメッセージになるのだろう。
1歳の子に僕が今考えていることを直接話してもきっとわからないだろうから、言葉以外の方法で、少しずつ遠回しに伝えていきたいと思う。

  

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 いわさきちひろ 「ピンクのうさぎとあかちゃん」 (1971)