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大手法律事務所の弁護士から株式会社LiBに移籍! https://www.libinc.co.jp

愛嬌も可愛げもないなら、どこで勝負しよう?

 

同世代の起業家や社会で突き抜けた結果を出している人たちを見ていると、彼らの多くは、圧倒的に「人の懐にスッと入っていく技術」に長けているなぁと思う。「愛嬌」群を抜いていると言ってもいい。

彼らはいつでもチャーミングで周りの人を笑顔にし、自然と心を開かせる。愛嬌のあるコミュニケーションをとることができる人には多くの協力者が集まり、結果、物事がすごいスピードで進んでいく。

『人間通』という本の中で、著者の谷沢はこの素養を「可愛げ」と呼んだ。人から好かれ社会で事を成していくために、この「可愛げ」が必要な要素だという。

 

人間通 (新潮選書)

人間通 (新潮選書)

 

 

※           ※            ※

しかし、この「可愛げ」を一朝一夕で身につけるのは容易ではない。「自分には『可愛げ』があるから大丈夫だ!」と自信を持って言える人はそう多くないだろう。

なぜなら、愛嬌や可愛げは、ある種の天賦の才だからだ。
キラキラと輝いている(ように僕らからは見える)人たちの愛嬌や可愛げは、まさに天から授かったものであるように思えて仕方ない。いくら自分が頑張っても、彼らと同じようにはなれないと思ってしまう。

しかし、そんな僕たちに、谷沢は次のような言葉をかけてくれる。
 

可愛げそのものは自作自演できなくても、その一段下のところを目指すことは可能である。可愛げの次に人から好まれる素質、それは、律気、である。秀吉は可愛げ、家康は律気、それをもって天下の人心を収攬した。律気なら努めて達しうるであろう。律気を磨き上げればほとんど可愛げに近づくのである。

 

 

 

…なるほどなぁ

 



努力によって可愛げを身につけるのは簡単ではないが、「律儀さ」なら心がけ次第で演じきることができる。そして「あいつは律義なやつだなぁ」とか「丁寧な人だなぁ」と思ってもらえれば、それは可愛げと同じくらいに強い魅力になる。
可愛げが一瞬で点火できるマッチだとすると、律儀さはじっくりと人の心を温めることができる薪のような存在だ。律儀さは、「後からジワジワきいてくる」武器かもしれない。

そして、律儀さを演出するためのポイントは「杭を2本以上打つ」ことだと思う。

まず、「1本目の杭」を打つ。仕事で誰かと打合せをする際には、日程調整をメールでやりとりするだけでなく、お会いする少し前にご挨拶の電話をしたり、事前に有益な情報を送ったりする。

そして、「2本目の杭」を打つチャンスも常に狙い続ける。
打合せ後にテンプレ的なお礼メールを送ってから、さらに何か気の利いた情報を提供したり、心からのお礼の言葉や気づきを様々な方法でお伝えする。時にはアナログな手法の方が効果的な場合もある。

このように「2本の杭」が打たれた瞬間、相手の心の中では、杭と杭の間に「律儀さ」というロープが張られることになる。点と点がつながり、「律儀さ」という線になるのだ。

「私は律義な人間です」という一貫したメッセージを、2つ以上のアクションを通じて伝えることができる。

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実際には日々の仕事の中で「律義」をキープし続けるのはなかなか大変で、ついつい「まぁいっか」が出てきてしまうのだけれど、それに打ち克てるかが勝負の分かれ目だと思う。天性の可愛げを持ち合わせていないのなら、ここで勝負するしかない。


丁寧に、律義に。


こういう戦い方も、きっと武器になる。

 

 

自分の気持ちに鈍感に、人の気持ちに敏感に。

 

昨日、会社で「自分の気持ちには鈍感に、人の気持ちには敏感になりなさい」という言葉をもらって、たしかになぁと思った。

考えてみると、自分は学生の頃からずっと自分の心や内面に興味があって、いろんな自問自答を重ねてきた。
それによって考えが深まったところもあるのだけれど、反面、意識の大半が「自分」に向けられ、周りをよく観察することが疎かになってしまった。
その結果、自分の中で反射的に生じる感情(「怒られたくない」「恥ずかしいのは嫌だ」「失敗したくない」…etc)に囚われ、本当にしたい・すべき行動にブレーキがかかっていたことがよくあった。

これからはまず、自分の感情に鈍感にならなければいけない。
言葉を替えると、心の中に生まれるマイナスの感情を「コントロールする」のが目下の目標だ。
感情が生まれてくることはどうしようもないし、悪いことではない。
問題は、その感情に自分自身が支配されていることだ。

生まれてくる感情を自分の支配下に置いて、自分の行動をコントロールする必要がある。感情に負けず、「役割を演じきる」ということでもある。

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他方で、当たり前のことだけれど「人の気持ちに敏感になる」ことも大切だ。

これまでもできるだけ想像力を働かせて人の気持ちを想像したり、場の空気を感じ取ろうとしてきたけど、なかなか難しかった。
しかし今回、「人の気持ちに敏感になる」ことを「自分の気持ちには鈍感になる」こととセットで考えようとしたら、ヒントが見えてきたような気がした。

要するに、今まで「自分の気持ち」に向けてきた意識量の大半を、周りの「誰か」に向けてみるのればいいということだと思う。
(これまでは、「自分の気持ちに」ばかり意識を向けていたので、「人の気持ち」にまで向ける意識が足りなかったのかも…)
意識の重心を自分から相手にシフトすること、これができれば、目の前にいる人に喜んでもらうことができるし、もっともっと「人間はどういう生き物か」を知ることができるのではないかと思う。(それと同時に、自分の気持にも鈍感になれる)

できる人は簡単にできちゃうんだろうな。難しそうだけど、がんばろう…。

娘が大人になるまでに伝えたいこと

 

今月、娘が1歳になった。
普段から色んなことをしてあげられているわけではないけれど、彼女が大人になるまでに親として「伝えたいこと」というものがあるなぁと思った。
僕がいちばん伝えたいことは3つある気がする。

1つ目は、彼女は「生まれてきた」だけで愛される存在であること、
2つ目は、彼女は「努力や行動」によっても認められる存在であること、
そして3つ目は、人は自分自身を愛し認めることができる存在でなければならないことだ。

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伝えたいことの1つ目は、子どもは「生まれてきた」だけで愛される存在であるということだ。
他の人より何か優れたところがあるという理由で、親は子どもを愛するわけではない。
彼女はただ生まれてきたことにより僕らから愛を注がれる存在なのであり、それは固い約束だ。
その安心感が、彼女の「根っこ」になると思う。

2つ目は、僕たち人間は「努力や行動」によっても認められる存在であるということだ。
人間は、一生懸命な行動、勇敢な行動、人を幸せする行動によって、誰かから感謝され、認められる。
その時に感じる喜びは、何事にも代えがたいものだ。
努力によって得られる喜びも、彼女にぜひ味わってほしいと思う。

3つ目は、人間はまず誰よりも自分自身の理解者となり、自分で自分を支えられるようにならなくてはいけないということだ。
僕たちがどんなに奮闘努力しようと、誰かが僕らを愛し、認めてくれるかどうかはわからない。
だから結局のところ、僕たちは自分を認めてあげる技術を学ぶ必要がある。
これは難しいし、僕もまだできていないけれど、とても大切なことだと思う。

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きっと今は、僕たち親の表情や行動の一つ一つが、子どもへのメッセージになるのだろう。
1歳の子に僕が今考えていることを直接話してもきっとわからないだろうから、言葉以外の方法で、少しずつ遠回しに伝えていきたいと思う。

  

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 いわさきちひろ 「ピンクのうさぎとあかちゃん」 (1971)

「大手法律事務所→ベンチャー」、4ヶ月で僕が一番戸惑ったこと

 

弁護士300人以上を擁する法律事務所からLiBに移って4ヶ月が経ち、改めて「弁護士として働くことと、ベンチャー企業で働くことの一番の違いは何だろう?」と考えてみた。これは、「この4ヶ月間で、自分が最も戸惑った(適応するのに苦労した)点は何か」という問いでもある。

結論から言うと、僕が一番苦労したのは、「速さ(スピード)」と「成功・失敗」に対するスタンスの違いだ。
様々なケースがあるのであまり一般化して語ると誤解があるのかもしれないけど、象徴的に言えば、両者には次のような違いがあると思う。

 

弁護士

「失敗しない」ことは弁護士にとって不可欠な素養である(「失敗する」弁護士は弁護士失格である)。もちろん、仕事は速ければ速いほど良い。

 

ベンチャー

「スピード」は正義である。「成功」も「失敗」も、早く経験するべきである。

 

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弁護士の場合、まず「失敗しないこと」が仕事の絶対条件になる。彼らに失敗は許されない。
弁護士が依頼者に誤ったアドバイスをすれば、依頼者を違法行為に導きかねない。また、弁護士が裁判でミスをすれば訴訟が不利に進展するし、契約書の内容に見落としがあれば、契約自体が無効となるおそれすらある。


「95%正しいけれど、5%のリスクがある」という場合に、時間をかけて5%のリスクを潰していくのが弁護士の仕事だ。それを疎かにする人間に、弁護士は務まらない。
もちろん弁護士にとっても仕事の速さは重要な能力だが、それは「正確性(失敗しないこと)」という基礎的な能力の上に乗っかるオプション的な価値ということになる。

他方で、ベンチャー企業の行動規範はこれと大きく異る。
「95%正しいけれど、5%のリスクがある」という場合、LiBでは「じゃあやろう!」という結論以外にはありえないと思う(笑)
5%のリスクが顕在化しそうになったら、その時に対策を考えればいい。むしろ、その「5%」を回避するために、決断や実行の着手が半日、1日と遅れてしまう方がリスクだ。

また僕たちにとって、「成長=失敗数×成功数」といえる。だからできるだけ多く失敗と成功を経験するためにも、スピードが重要になってくる。

※           ※           ※

以上をまとめると、↓こんな感じだろうか…(家の絵のつもりです)f:id:kshinagawa:20161217105044p:plain

弁護士は「正確性」が基礎となり、+αの能力として「スピード」が求められる。
ベンチャーだと「スピード」が基礎となり、+αの能力として「成功確率の高さ」が求められる。

LiBに入りたての頃は、ここで述べたような「速さ」と「成功・失敗」に対する意識の違いに戸惑った。あらゆる情報を「把握」してから行動に移そうとしていると、他の人より10手も20手も遅れをとった。
行動しながら把握する、行動してから把握する、社員がそういうマインドで行動量を増やしていかないと、生き残れない世界だった。


自分の場合、これまでの思考のクセが抜けきっているわけではないけれど、最近は、「どれが速いか」が行動選択の重要なファクターになってきた。

もう少しすれば、もっとこの考え方が染み付いてくるかな?…と思っている。

 

【部下として、上司として】「体験」を「経験」に昇華する

 

僕たちは日々の仕事の中で、様々な「体験」をしている。

・お客様に「ありがとう」と言われる
・営業が成功して新しい案件を受注する
・自分が推進したプロジェクトが失敗に終わり、関係者に謝罪する
・飛び込み営業先でお客様に怒鳴られて追い返される
・考えの甘さを上司に叱られる


これらは全て、仕事上の「体験」だ。

人が生きている限り、外界から絶え間なく「刺激」が飛び込んでくる。
その刺激に対して、人の内面では刻々と「感情」が生まれては消えていく。

誰かに感謝されたり新規案件を受注できたら嬉しいし、
誰かに怒られたり叱られたりしたら、悔しいし悲しい。

こう考えると、体験の本質は外界からの刺激と、それにより発生する感情だということができる。 

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※      ※      ※

 

ところで、社会人になって間もない人や、(僕のように)全く異業種の仕事を始めた人は、仕事の中でうまくいかないこと、失敗することも多いと思う。
そこで重要になってくるのが、「体験を経験に昇華する力」だ。

僕の理解では、「経験」とは「体験に自分なりの意味を付与したもの」ということになる。

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例えば、営業に失敗してお客様に追い返され、上司にも怒られた時に、
「辛いよぉ。おれは何てダメなんだ…」とヘコんでいるのが「体験」のレベルだとすると、
「この悔しい体験は、自分の人生や目標にとってどんな意味を持つんだっけ?」と考えてみるのが、「経験」のレベルだ。

刺激や感情はすぐに消え去り、体験は一過性のもののであるのに対し、経験は僕たちの中に蓄積されていき、やがて人生の勝率を上げるための肥やしになる。

体験を経験に昇華するためには、自分がその仕事をしいることの意義や目標から振り返ってみたり、10年後にその体験をどんな「笑い話」として語れるかを考えてみるのがよいと思う。


つまり、「体験」を少し離れたところから眺めてみれば、そこに「意味」が生まれ、単なる体験が「経験」へと昇華する。


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この「体験を経験に昇華させる力」は、人を育てるためにも必要とされる力だと思う。新人や部下の失敗(体験)が持つ意味について示唆を与えることができれば、彼らが過度に近視眼的になりマイナスの感情に支配されることもない。

LiBに入ってよかったと思うことの一つは、成功や失敗の体験が自分や組織にとってどんな意味を持つのかについて、しつこいくらいにフィードバックがもらえることだ。
そういう環境に身をおくことができているのは、とてもうれしいなと思っている。