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「ビビらない」ために必要なただ1つの「問い」―心配事の9割をなくす

 

自慢じゃないが、僕はビビりだ。組織に先生・指導者・上司的な「上」の人がいると、すぐにビビってしまう。特にその人の気性が荒かったり、感情を表に出すような人だとダメだ。「怒られないように」ということだけを願って行動してしまう。今日もその人と顔を合わせると思うだけで胸がキューっと締め付けられ、心がヒリヒリする。

 

高校に入った当初、サッカー部の先輩たちにビビっていた。先輩に怒られないということが史上目標で、練習や試合をしていた。自分たちの代になっても、コーチや監督にビビっていた。大きなミスをしないことだけを願ってプレーするサッカーは、あまりおもしろいものではなかった。高校の3年間で、純粋にサッカーのプレーを楽しめた瞬間というのは、あまり多くはなかった気がする。

 

大学生になってからは、所属していた劇団のリーダーや振付師さんにビビっていた。ダンスなんて全く素人だったので、演技やダンスの最中に怒鳴られると、頭が真っ白になってしまう。怒られるのが嫌で、稽古が本当に憂鬱だった。

 

ビビり克服のため、色々試してみた。

「おれはできる!」と言い聞かせるポジティブシンキングや、自分が良いプレーをしている姿をイメージトレーニングする方法もやってみた。鏡に向かって最高の笑顔を作ったり、「怖い人」を好きになろうと努めたこともあった。

…ただ、どれもあまりうまくいかなった。「怒られたくない!」という強烈な感情のほうが勝って、心臓バクバク・冷汗タラタラになってしまうのだ。

 

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こんな経験を通して得た仮説は、ビビりはたった一つの「問い」で克服できるということだ。ビビりとは、外からの刺激に対して心が過剰に反応し、恐怖バロメータが反射的にMAXまで上昇してしまう状態だと思う。しかし、少なくとも自分の場合、ある「問い」を常に意識し、漬物石のように心の底に置いておくことで、心の過剰反応を防げることに気がついた。

 

「客観的に見て、それはリスクか?」

 

これが、僕がたどり着いた答えだ。常にこの問いを自分に発し続けることで、ビビりは克服できる。ここでいうリスクとは、「人生にとって大きなデメリットをもたらす可能性がある」というような意味として捉えてほしい。「最悪の事態を想定した場合に、人生にとってダメージが大きい」と言い換えてもよい。

 

本当にリスクなのであれば、恐怖心が湧いても仕方ないし、最悪の事態を避けるために手を尽くさなければならない。反対に、客観的に見てそれほど大きなリスクでないのであれば、心配するだけ無駄だ。「最悪の事態が起きてもしゃーなしやでー!」とエセ関西弁の一つや二つ独りごちて、気楽に構えればよい。ここで大切なことは、「瞬間的には超大きなリスクと思えることでも、冷静に考えると実はリスクではない」ことがこの世には溢れているということだ。

 

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上の人から怒られることは、たしかに嬉しいことではない。

しかし実は、人生の価値という観点から見ると、「怒られる」ことによるリスクは意外と小さい。誰かに怒られたからといって、それによって心身を害したり、収入が減ったり、チャンスを逃したり、夢に挫折したり、愛する人を奪われたり、能力を低下させられたりすることはあまりない。むしろ、「ビビる」ことによって萎縮し、憂鬱さに心が占領される場合の方が、左に挙げたリスクが現実化する可能性は高くなるだろう。

 

俊足が売りの2軍のプロ野球選手にとって、堅実なプレーを好む2軍コーチに盗塁失敗を怒られる場合と、怒られるのを恐れて全く盗塁にチャレンジしない場合とでは、彼の人生にとって、どちらがより大きなリスクだろうか。

 

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怒られるのは恐い。でも、怒られた場合の最悪の事態を想定し、「客観的に見て、それはリスクか?」と自分に問いかけた場合、最悪の事態が人生に与えるダメージは驚くほど小さいことに気がつく。そして、ビビることに時間や心的エネルギーを費やし、人生にとって本当に価値あることにそれを使えないことの方が、リスクであるといえる。 

 

自分の場合、無理してポジティブになろうとするよりも、冷静に、客観的に観察する方が、ビビりから抜け出せることに気がついた。

自分が誰かに怒られている場面を、いま流行りのドローンで空中から眺めてみよう。それまで恐怖で怯えていた場面も、意外と滑稽に見えては来ないだろうか。