7大宗祖たちの濃厚キャラクター:(2)日本人が「愚かなハゲ」に救いを求める理由
明らかに一人、異彩を放った呼び名を持つ人がいますね(笑) 今日はこの方のお話です^^;
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鎌倉仏教のトップバッターは、何と言っても法然です。
平安時代末期、貴族による摂関政治が衰え武士が政治的権力を握る実力本位の時代へと移りつつあった頃、治安の乱れは激しく、民衆は貧困にあえいでいました。またこの頃、比叡山を頂点とする仏教界は退廃し、末法思想が蔓延するなど、非常に危機的な状況にありました。
そのような鬱屈した空気をぶち破り、日本の新しい仏教(=鎌倉仏教)に先鞭をつけたのが法然です。
法然の教えの核心は、他力本願という思想です。
同時に法然は、「阿弥陀様によって善人ですら救われるのだから、悪人が救われるのは当然である。念仏は自力を実践できる善人のためではなく、他力に頼るしかない極悪人のためにある」と説きました。(これが有名な「悪人正機説」です。)
法然自身は超がつくほどのエリートで、最高レベルの地位と高潔さを有する仏僧でしたが、法然の視線はいつでも社会の底辺にいる人々に向けられていました。彼らは貧しく、無教養で、煩悩にまみれた愚かな「悪人」たちです。しかし法然は、自分が悪人であることを自覚した人間こそ、阿弥陀仏によって真っ先に救われると断言します。
ただ「南無阿弥陀仏」と唱えるだけでよいのであれば、誰でも簡単に実践することができます。法然は救済の条件を徹底的に引き下げ、それまで救いの対象外となっていた「悪人」たちを救うために、念仏という方法を提示しました。
僕はここに、法然の限りない優しさを感じます。彼はいつも、「弱者こそ救われるべきである」という信念のもと、優しい微笑みと慈しみの心をもって、彼らを見つめていました。こんな意味合いから、僕は彼を「慈悲と温もりの人格者」と呼びたいと思います。
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次に、いよいよ親鸞の登場です。
大まかに言えば、親鸞も法然と同じく、他力本願という思想の持主です。親鸞は、「たとえ法然上人にだまされて、念仏して地獄に落ちたとしても後悔いたしません」という言葉を残すほど、法然の熱心な弟子…というより、法然に心酔した「大ファン」だったのです。
法然は超秀才でありつつ戒律も厳守する、まさに完璧な「善人」です。
これに対し、親鸞は肉食妻帯をした僧侶として有名です。僧侶でありながら獣の肉を食べ、結婚をして女性と交わり、子どもを作っています。当時、仏僧がこのように公然と戒律を破ることは、考えられないことでした。親鸞の真意については様々な解釈がありますが、最も単純に考えれば、自らの煩悩に抗えなかったと考えることができます。以下、親鸞自身の言葉です。
「心から思い知らされる。なんと悲しいことか、愚禿親鸞は、愛欲の広海に沈み、名声と利得の大山に迷っている。」「(私の)悪い本性は変わらない。その心はあたかも蛇やサソリのようである。たとえどんな善行をしても、煩悩の毒がまじっているので、偽りの行である。」
ここでやっと、「愚かなハゲ」が出てきました。そう、親鸞は自分で自分のことを「愚禿」と呼んだのです。彼は自分が煩悩にまみれた「悪人」であることを、悲しいほどに自覚していました。
親鸞が愚禿と自称するほど自らの悪性を直視できる人間でなければ、浄土真宗も生まれず、念仏が日本にこれほど普及することもなかったでしょう。だから僕は、最大限の敬意をもって、彼を「愚かなハゲ」と呼びたいと思うわけです。
人は誰でも、自分の非力さや無能さに絶望することがあります。そんな時、私たちは親鸞に、自分自身を重ね合わせることができます。同じことに悩み、苦しみ抜いた親鸞にこそ、私たちは救いを求めたくなるのかもしれません。
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「悲しさは共に悲しむ者がある時、ぬくもりを覚える。悲しむことは温めることである。」
何かのきっかけで絶望のどん底にいる時、側にいて共に悲しんでくれる存在がいることで、私たちはどれほど救われることでしょうか。法然と親鸞の教えは、このことの大切さを、いつも思い出させてくれるものであると思います。
品川皓亮