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7大宗祖たちの濃厚キャラクター:(4)「厳しい」道元の「優しい」目線

 
「◯◯宗■■寺」といった場合のお寺の宗派に注目できるよう、メジャーな宗派の宗祖さんたちをご紹介する「7大宗祖たちの濃厚キャラクター」シリーズも、今回で最後です!
 
法然道元
 
このシリーズの最後に、道元についてお話させてください。僕は道元を「孤高の求道者」と読んでいます。彼の性格は、法然と対比をするとよく理解することができます。
 
以前お話したとおり、法然はどこまでも温和で優しい人でした。人間の弱さや愚かさを認め、彼らに「そのままでいいんだよ」と微笑みかけました。
これに対し、道元は厳しい人であったと思います。彼には人間が到達すべき理想の姿がはっきりと見えていました。それはきっと、水中に映った月のようなものであったと思います。
 
「人のさとりをうる、水に月のやどるがごとし、月ぬれず、水やぶれず」
 
という道元の言葉は、とても味わい深いものです。
月が水に映っている。どんな小さな水、一滴の露にも、そこに月が映っている。月と水と光と万象の、渾然一体となった夢幻の境、それこそ道元が目指した静寂で玄妙な世界であったのだろうと思います。
 
そして彼は、その厳しい態度で「悟り」を得る道筋を説いていきます。僕は道元の、「放てば手に満てり」という言葉が大好きです。
自分が大事だと思って手に掴んでいるものを放してみると、もっと大切なものを手にいれることができる。もしくは、手を放してみると、「もっと大切なもの」を自分が前から持っていたということに気づくことができる。禅の本質は「捨てる」ことにある。
道元は、そんなことを教えてくれているのだと思います。
 
「学道の人は先ず須らく貧なるべし。財おほければ必ずその志を失う」
「財欲を捨てよ、衣食に心を煩わすなかれ」
 
というのも、道元の言葉です。彼は絶対的な「貧」の重要性を強調します。道元は、己を貧しくすればするほど、その思想と精神が研ぎ澄まされていくということを誰よりも知っていました。
 
イギリスの詩人ワーズワースの詩の中にある、
 
「低く暮らし、高く思う」
(Plain living and high thinking)
 
という言葉と、どこか通じるところがあります。
 
※     ※     ※
 
僕は法然と同時に、道元も非常に尊敬しています。なぜなら道元は、人間が理想的な状態に達するため道筋、人間が成長する道筋を示してくれているからです。
 
法然は「どんなに弱い人間も、阿弥陀様が救ってくださる」という他力本願を説くので、結局、「弱い人間は弱いままでいい」という結論になりかねません。これはこれでありがたい教えですが、少し物足らない。弱い人間が自らに打ち克ち、本当の意味で強くたくましい人間に成長していく過程というものもまた、尊いものであるはずです。
 
他力ではなく自力の道を説く道元の教えは厳しいものですが、その教えはいわば、「人間の可能性を信じる」教えです。
今はどんなにダメな私たちでも、決してその可能性を諦めない。私たちの心がけ次第で、理想の人間(≒仏)に近づくことができる。そう信じる道元の眼には、人間一人ひとりの中に宿る可能性(=仏性)が、はっきりと見えていたのでしょう。
 
その意味で、道元の目線もまた、法然とは違った意味で「優しさ」に溢れていたのではないかと思います。