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大手法律事務所の弁護士から株式会社LiBに移籍! https://www.libinc.co.jp

新人が身につけるべき「◯◯力」〜なぜ弁護士出身の僕が営業をやるのか?〜

 

弁護士だけで300人以上を擁する大手法律事務所で新人弁護士として働いた後、設立2年半のベンチャー企業に入り、新人営業パーソンとして働いている…そんな僕が感じた新人に求められる力の一つが、「意味づけ力」だ。

「意味づけ力」とは、目の前の仕事に自分なりの「意味」を付与する能力のことだ。

・なぜ、意欲あふれる新卒社員として有名企業に入った自分が、コピー取りや資料整理ばかりやらなくてはいけないのか?
・なぜ、一生懸命勉強して大手法律事務所に入った自分が、判例検索や書面の形式チェックに一日を費やさなければいけないのか?
・なぜ、経営者になることを目指してベンチャー企業に入った自分が、営業(外回り)から始めなくてはいけないのか?


「新人だから」という理由で任されがちな仕事は多い。
しかし、上司・先輩が「新人だから」という理由で何となく決まった仕事を与えている世界には、学びも成長もないと思う。
仕事をする自分が、能動的に意味を付与しなければならない。

「まず誰でも下積みから始まるのだから、与えられた仕事に一生懸命取り組もう!」という姿勢も悪くはないが、それはある種の思考停止だ。
与えられた仕事を盲目的にこなし続ける人と、そこに「意味」を付与して目的意識を持って仕事を遂行する人とでは、成長スピードに天地の開きができる気がする。

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そして、 仕事に付与すべき「意味」は、自分の「価値観」から逆算されるべきものだ。(「価値観」についてはコチラ
人生の最終目標から遡って、新人である自分に割り当てられた仕事がどんな意味を持つのかを考える必要がある。f:id:kshinagawa:20160828155858p:plain

自分で考えてもわからなければ、先輩にでも上司にでも聞いてみるといい。
「新人はそういうものだよ」という答えではなく、その仕事が持つ意味を真剣に説明してくれる人は信頼してよいと思う。

ただし、最終的な「意味付け」は自分自身で行わなければ意味がない。
なぜなら、付与される「意味」はその人の価値観(人生の最終目標)によって異なり、自分と上司とでは価値観が異なるからだ。


考えぬいた結果その仕事の意味が腹落ちしないようであれば、そもそもその環境に身を置くべきかをよく考えたほうがいい。
「新人時代の仕事の意味は数年後にわかる」という考え方もあるだろうが、勝率を上げるのにベストな思考方法とはいえないと思う。


反対に、自分の価値観に照らして少しでも積極的な意味を付与できるのであれば、どんな雑用であっても全力で取り組むべきだ。

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翻って、経営者になることを目指してLiBに入った僕が、新規開拓の営業をやることにどんな意味があるのだろう?


今のところ、「経営者」と「営業職」をつなげるキーワードは、意思実現力だと考えている。
営業は、他者に影響を与え、自らの意思を実現する力を鍛える絶好の舞台だ。
そしてそれは、間違いなく経営者に不可欠な能力でもある。

このあたりのことは、別の機会にじっくり書いてみたいと思います!

 

弁護士の道を捨て、ベンチャーに入った本当の理由(後編)

 

前回(前編)は弁護士事務所を辞めると決めた理由を書いたので、今回は、LiBに入ると決めた理由について書いてみたいと思う。
 
前回書いたとおり、
 
「挑戦の舞台が見つかるまで、法律家の道で全力を尽くす。
 舞台が見つかったら、迷わず飛び込む。」
 
と決めた後、僕は東京で弁護士として働く傍ら、次の「舞台」を探すため、週末にベンチャー企業の経営者の方々に自分の現状を話してアドバイスをもらうということを繰り返していた。
そんな活動の一環として、LiBの社長(松本さん)とも話する機会を得た。週末朝のスタバだった。
 
 
※         ※         ※
 
 
その時は、出会って15分くらいで一気に深い話が始まったのをよく覚えている。
その後何度か話を重ねていくうちに、だんだんとLiBに惹かれていった。
理由はいくつもあるけれど、次の4つのポイントが大きかったように思う。
 
①社長の哲学と人格
ベンチャー企業にとって、社長の人格は組織の人格であり、社長の哲学は組織の哲学になると思っている。
僕は松本さんの哲学に惚れたし、人格を信じた。
人生観において、自分と重なり合う部分がとても大きいと感じた。
そんな人の下で働きたいと思った。
 
②事業テーマ
現在のLiBが取り組んでいる「女性」にフォーカスした事業テーマに、ぐっと心惹かれた。
社会の視点では、高齢者と若者の人口ギャップが大きくなり続けている現在の日本で、女性が活躍することの意義は大きい。
個人の視点では、意欲ある女性がその人に合った働き方を手にすることで、より充実した人生を切り拓けると思う。
このテーマに挑戦し、自分たちの手で「未来の当たり前」を作ることができたらどんなに素晴らしいだろうとワクワクした。
 
③成長性と実行力
松本さんとの会話を通して、僕の4つの価値観(前編参照)を実現させるための一番の方法は、自ら経営者になることだと認識するようになった。
そのためには、「(まだ大きくないけれど)これから急激に伸びる組織」に入り、その急成長を体感するのが最も近道なのではないかという仮説を立てた。
LiBには成長性を感じたし、何より理想を現実に変える実行力が備わっていると思った。
 
④学びの多さ
経営には、ロマンとソロバンが必要らしい。
これまでの様々な経験を通して、僕の「ロマン」はある程度熟してきていた。他方で、「ソロバン」については知識も経験も全く無い。
LiBの経営陣の経歴と人間性を知れば知るほど、ここでソロバンもみっちり鍛えることができると思えた。
ここでなら多くを学び、再現性につながる「正しい努力」ができるができるのではないかと思った。

 

※         ※         ※
 
 
このような理由から、LiBが自分の価値観に合致した場所かもしれないと思うようになっていった。
ただ、すぐに他の可能性を捨てて、「LiBに行こう!」と決めることはできなかった。
「もしかするとここより良い企業があるのでは?」という思いをしばらくは拭いきれなかった。
 
そんな迷いの最中にあった頃、以前、
 
「LiBは価値創造コミュニティを目指している」
 
という話が話題に登ったことを思い出した。
 
事業は時代とともに変化し、やがて廃れていく。
50年後、100年後、きっと今のLiBの事業はなくなっているだろう。
だからこそLiBは、時代を経てもなお生き続けるような文化や風土、DNAを作りたい。
そんな話だった。
 
僕の理解では、LiBは「女性の活躍を支援する会社」ではない。
LiBは「価値創造コミュニティ」を作っている会社だ。
 
「価値創造コミュニティ」って何だ?
それは、「あるべき未来」を形にするため様々な「価値」を創り出す人間の集まりのことだと思う。
その時代に必要とされる新しい事業を創り出す人たちが集う「場」のことだと思う。
 
現在LiBが手がけている事業は、会社の「長男坊」に過ぎない。
これから次男坊、三男坊がどんどん生まれてこなければいけないんだ。
それは必ずしも、「女性」に関わるものである必要はない。
 
100年後、僕らが天国から地上を見下ろしている。
僕らが作った事業はなくなっているが、僕らが残したDNAは生き続け、LiBというコミュニティで多様な人々が新しい事業作りに励んでいる。
こんな光景を眺めることができたら、とってもステキだ。
 
 
※         ※         ※
 
 
「LiBは価値創造コミュニティを目指している」
 
この言葉が、迷っていた僕の背中を押してくれた。
自分もLiBという舞台で、新しい「価値=事業」を創ることに挑みたいと思った。
それが自分の人生を叶える道だし、LiBが目指すところでもあるはずだ。
 
たしかに、世界には魅力的な企業がゴマンとあるのだから、他にもっと良い選択があるかもしれない。
より革新的で、インパクトの大きい事業があるかもしれない。
LiBの事業は本当はイケてなくて、ビジネスに疎い僕にはそれが見えていないだけかもしれない。
 
でも、「まぁそれならそれでいいや」と思えた。
 
「心惹かれることをしよう。心の声に従おう。」
 
と決めたのは僕自身だ。
これだけ調べきって考え抜いた結果、圧倒的に心惹かれるんだから、仕方ない。
それでダメだったとしても、後悔しようがないと気づいた。
何かを信じられた時、「悪い結果に終わったら後悔する」という可能性がゼロになることを知った。
 
ぐっと腹の底に力が入った。
妻にも「おもしろそう!」と言ってもらえた。(よかった!)
最後は運命を信じることにした。
 
こんな理由で、僕はLiBに入ると決めた。
 
(おわり)
 
 

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弁護士の道を捨て、ベンチャーに入った本当の理由(前編)

  
先月、僕は弁護士300名以上を擁する大手の法律事務所を辞めて、株式会社LiBという創業2年ちょっとのベンチャーに入った。
 
法務担当ではなく経営者になることを目指す一人の「新人」としての入社で、今は事業づくりや組織づくりに必要なあらゆることを経験している。
実際のところ、仕事をしていて弁護士としての知識や経験が役立つシーンはほとんどない。
 
 
 
・・・なぜ、こうなっ(てしまっ)たのだろう?(笑)
 
 
 
自己紹介も兼ねて、僕が弁護士の道を捨ててLiBに入った理由について書いてみたいと思う。
(今日は前編として、僕が弁護士事務所を辞めた理由について、次回は後編として、僕がLiBに入った理由について、書いていきたい。)
 
 
※         ※         ※
 
 
僕はなぜか高校生の頃から哲学に興味を持ち、「神さまは本当にいるのか?」とか、「そもそも『いる』とは何だろう?」ということを本気で考え、ノートにまとめたりしていた。
最終学年に上がる頃、高校を卒業した後に何をしたいのかを考えた。結果、答えのない問いについてとことん追究してみたいと思い、哲学を学ぶために京都大学に進んだ。
 
ところが残念なことに、大学の授業で習う哲学には全く面白みを見いだせなかった。
難しい言葉が耳から耳へと通過し、いたずらに本の文字を追って時間だけが過ぎていく気がした。
 
「これじゃダメだ!!!」
 
と僕は焦った。
全身全霊をかけてがんばれる「何か」が欲しかった。
 
そんな焦りが募っていた頃、たまたま講義を受けた法律科目に興味を持ち、司法試験合格という明確なゴールが存在する世界に憧れ、法学部に転部した。
その頃の僕は「目標」に飢えていたように思う。
 
転部した後はそれなりに勉強を続け、法律の勉強は好きだしせっかくこれまで勉強してきたから、という「何となく」な理由で、特段の決意もなくロースクールへの進学を決めてしまった。
 
 
※         ※         ※
 
 
ロースクールが始まる直前の春休み、ようやく、自分はどんな人生を生きたいのかを本気で考えるようになった。
僕にとって「どんな人生を生きたいか」という問いは、「どう死にたいか」という問いと同義だった。
 
自分が死ぬ瞬間、どんな状態になっていれば満足して死ぬことができるだろうか?
 この問いについて思考を重ねた結果、
 
①大きな事をすること(あるべき未来に対して大きく貢献すること)
②オリジナリティ溢れる、自分だけの人生を歩むこと
③心がやさしい人でいること
④家族を大切にすること
 
という4つの要素が満たされれば、満足して死ぬことができると気がついた。
これが僕の、最も根本的な欲望だったのだ。
 
僕は①〜④を、自分の「価値観」と呼んだ。
人生を叶えるためには、自らの生き方を「価値観」に合致させていく必要がある。
 
「心惹かれることをしよう。心の声に従おう。」
 
人生を選び取っていく時、これ以外の「基準」はないと思った。
自分の人生は自分で舵取りしなければならないということに、ようやく気づいたのだ。
 

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※         ※         ※
 
 
20歳になる少し前、友人の勧めで渡邉奈々さんの『チェンジメーカー』という本を読んだ時の感動が忘れられなかった。
事業を通して世界に貢献する人たちに憧れ、素直に「かっこいい!」と思った。
 
他方で、自分が進みつつあった法律家の道は、必ずしも自分の価値観とは合致していないようだった。
自分が弁護士として働いている姿を想像した時、それほど心惹かれなかった。
 
心の声をよく聞いて、結論が出た。
 
「挑戦の舞台が見つかるまで、法律家の道で全力を尽くす。
 舞台が見つかったら、迷わず飛び込む。」
 
当時の僕には「法律」という武器しかなく、それを捨ててまで飛び込むべきフィールドは見えていなかった。
だからまずは一人前の法律家になることを目指し、TMI総合法律事務所に入ろうと決めた。
 
 
※         ※         ※
 
 
しかし、探し続けることを諦めてはいけなかった。
何かを選ぶことは、何かを捨てることだ。
「舞台」がいつ見つかるかはわからないけれど、この決意により霧は晴れた。
 
岡本太郎の言葉は、いつも僕を支えてくれた。
 
「人生は積み重ねだと、誰でも思っているようだ。ぼくは逆に、積みへらすべきだと思う。財産も、知識も、蓄えれば蓄えるほど、かえって人間は自在さを失ってしまう。過去の蓄積にこだわると、いつの間にか堆積物に埋もれて身動きできなくなる。
…捨てれば捨てるほど、いのちは分厚く、純粋にふくらんでくる。今までの自分なんか、蹴トバシてやる。そのつもりで、ちょうどいい。」
 
「一方はいわばすでに馴れた、見通しのついた道だ。安全だ。
一方は何か危険を感じる。もしその方に行けば、自分はいったいどうなってしまうのか。
不安なのだ。しかし惹かれる。
…たしかに危険を感じる。そっちへ言ったら破滅だぞ、やめろ、と一生懸命、自分の情熱に自分で歯止めをかけてしまう。
しかし、よく考えてみてほしい。…なぜ迷うのか。…迷うことはないはずだ。もし食うことだけを考えるなら。
そうじゃないから迷うんだ。危険だ、という道は必ず、自分の行きたい道なのだ。ほんとうはそっちに進みたいんだ。だから、そっちに進むべきなんだ。」
 
「イバラの道に傷つくことが、また生きるよろこびなのだ。…たんたんとした道をすべって行くむなしさに流されてしまわないで、傷つき、血のふき出る身体をひきずって行く。
言いようのない重たさを、ともども経験し、噛みしめることだ。それが人生の極意なのである。」
 
(『自分の中に毒を持て』)

  

※         ※         ※
 
 
もしかしたら、自分の選択は間違いかもしれない。
惨めな姿を晒すかもしれない。
 
でも、彼は言うのだ。
 
「負けた者こそバンザーイと、大いに胸を張ってにっこりする、これだよ。」
 
(『強く生きる言葉』)
 
なるほど。
じゃあ、まぁいっか(笑)
 
これで、準備は整った。
あとは「舞台」を探すだけだった。
 
(つづく)
 

「悩みの踊り場」で踊り続けていた残念な僕

 

LiBに入って3週間が経った。
仕事はまだまだ上手くいかないことばかりだけど、少しうれしいことがあった。
それは、
 
「毎日『悩みの階段』を昇っている」
 
という実感があることだ。
 
人が大きな目標を達成するためには「悩み」が不可欠だ。
それはメキメキと伸びていくための成長痛といってもよい。
だから、悩むこと自体は決して悪いことではない。
 
ただ僕たちは、「自分は『悩みの階段』を昇れているか?」ということは常にチェックしないといけない。
 
昨日よりも一歩「先」のテーマについて、僕たちは頭を悩ませないといけない。
1年前と全く同じことをあれこれ考えている人に、成長はない。
 
※         ※         ※
 
数年前、僕はずっと、「せっかく一生懸命法律の勉強をしてきたのに、弁護士の道を捨ててしまって本当にいいのかな?」ということを考えていた。
 
やっとのことで、「大事なのはこれまで何を積み重ねてきたかではなくて、これから自分が何をしたいかだ!」と気づいた後は、「じゃあ何をすればいい?起業?ベンチャー?で、どのベンチャーに行けばいいの?」ということにこれまたずっと悩んでいた。
 
僕は、悩みの階段を昇らずに「踊り場」で踊り続ける残念な人だった。
これでは次に進むことはできない。
 

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悩みの階段を昇るペースを上げるためには、例えば以下のようなことが必要だと思う。
 
①既存の悩みの解消
今直面している課題に対する「打ち手」を出し尽くし、その課題をクリアする
 
②悩みの先取り意識
最終目標から逆算して、「自分の次の課題は何か」を常に考える
 
③悩みの御用聞き
自分を客観的に評価してくれる人に「何を課題として設定すればよいか」を聞いて回る
 
また、いくつかの選択肢で悩んでいるような場合には、「仮説を立て、その仮説に基づき意思決定を行い、それを検証する」というのが最も手っ取り早い。
 
仮にその意思決定が間違っていたのなら、またやり直せばよい。
一歩「先」の悩みにより早く出会うためには、早めに仮の意思決定をすることが肝要だ。
 
(他にも何かいいアイディアは色々とありそうなので、皆さまにぜひ教えていただきたいです…!)
 
※         ※         ※
 
LiBに入って1週目は、新しい職場環境に慣れるので精一杯で、全力で仕事に集中できないことに悩んでいた。
2週目は、時間をかけても何も具体的な成果につながらないことに悩んでいた。
そして3週目は、お客様との時間をお互いに価値ある時間にするためにはどうすればよいかということに悩んだ一週間だった。
 
まだまだ悩みの階段を昇るベースが遅いのが悔しいところだけれど、愚直にやっていくしかない。
 
数少ない僕の自慢の一つは5年日記を毎日つけていることで、例えば5年前の今日、自分が何に悩んでいたかを知ることができる。
 
一年後、2016年8月の日記を振り返ってみて、「こんなしょっぼいことに悩んでたのかー!」と笑えるように、先へ先へと進んでいきたいなと思った!
 
(ちなみに、「踊り場」という言葉の由来には諸説あるそうだ。「昔はあそこで人が踊っていた」とかいうわけでもなさそう…。)
 
 
 
 

「PDCAを高速で回す」って何やねん!?…と思った話

 

ベンチャーに興味を持ち始めてからちょくちょく耳にするようになったPDCAを高速で回す」という言葉。
これまであまり実感が湧かなかったけど、LiBに入って2週間が経ち、「高速で回す」という言葉の一つの側面が見えてきた気がする。
 
言わずもがなだけど、PDCAとは「Plan(計画)→Do(実行)→Check(評価)→Action(改善)」のことだ。
もう少しわかりやすく言うと、以下のようなイメージだろうか?
 
P=これをやってみよう
D=やってみた!
C=どうだった?
A=次は何をすべき?
 

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これを「高速で回す」とは、簡単に言うと、
 
「試しにやってみて、改善してまた試しにやってみる」
 
というサイクルの「回数」を多くするということではないだろうか?
とにかく「回数」で勝負するのだ。
 
(僕のような)わりと真面目な人の場合、「仕事ではPDCAが大事」と言われると、
 
「よし!じゃあ週のはじめにその週の目標を考えて(Plan)、平日に実行し(Do)、週末に反省点(Check)と改善策(Action)を考えよう!」
 
という感じで考えがちだ。
 
こうすると、PDCAの「サイクル」は一週間に1度回ることになる。
もちろんこうやって週ごとの反省をするのも大切なんだけど、これだとあまり「高速」な感じはしない…。
 
 
※          ※          ※
 
 
では、1日を午前・午後・夕方の3つに分けてみるとどうだろう?
 
朝、午前中にトライすることを何か一つ決めて、午前中はひたすらそれを繰り返す。これがPとDだ。
お昼ごはんを食べながら、午前中のトライが奏功したかを考えて、改善点を探してみる。これでCとAも完了。
すると、午後はまた違うトライができることになる。夕方も然りだ。
 
この方法なら、1日に3回「サイクル」を回すことができる。
1つのサイクルが終わるごとに、1つの「果実」(気づき、成長)を得ることができるのだ。
 
もちろん、PDCAの「質」の観点からは、1週間に1度じっくりと時間をとって反省をしたりするほうがよいのかもしれない。
ただ、「PDCAを高速で回す」という言葉は、そのような「質」より「回数」を意識した方が結果として成長スピードが早いという仮説のことを言っているように思う。
 
実際、真面目な人が1週間に1度じっくり反省の時間を設けている間に、ある人は1日3回×5日間(平日)=15回のサイクルを回しているのだ。
こう聞くと、たしかに後者の方が勝率が高いかも…と思えてくる。
 
 
※          ※          ※
 
 
上長からLiBでの2週目のフィードバックをもらい、PDCAという言葉について以上のようなことを考えた。
 
吉田松陰西郷隆盛にも大きな影響を与えた陽明学には、知行合一という有名な言葉がある。「知ること」と「行うこと」は一つであり、分離不可能であるという考え方だ。
 
PDCAという用語の意味を把握しているだけでは意味がない。それを実行してしみじみと何かを感じ取った時にはじめて、本当に「知る」ことができるのだろうと思った。
 
今回は超短期的なPDCAについて考えてみたけど、中長期的な観点からのPDCAとはどんなものだろう?
こちらはまだ未経験なので、これから探っていきたい!