「ビビらない」ために必要なただ1つの「問い」―心配事の9割をなくす
自慢じゃないが、僕はビビりだ。組織に先生・指導者・上司的な「上」の人がいると、すぐにビビってしまう。特にその人の気性が荒かったり、感情を表に出すような人だとダメだ。「怒られないように」ということだけを願って行動してしまう。今日もその人と顔を合わせると思うだけで胸がキューっと締め付けられ、心がヒリヒリする。
高校に入った当初、サッカー部の先輩たちにビビっていた。先輩に怒られないということが史上目標で、練習や試合をしていた。自分たちの代になっても、コーチや監督にビビっていた。大きなミスをしないことだけを願ってプレーするサッカーは、あまりおもしろいものではなかった。高校の3年間で、純粋にサッカーのプレーを楽しめた瞬間というのは、あまり多くはなかった気がする。
大学生になってからは、所属していた劇団のリーダーや振付師さんにビビっていた。ダンスなんて全く素人だったので、演技やダンスの最中に怒鳴られると、頭が真っ白になってしまう。怒られるのが嫌で、稽古が本当に憂鬱だった。
ビビり克服のため、色々試してみた。
「おれはできる!」と言い聞かせるポジティブシンキングや、自分が良いプレーをしている姿をイメージトレーニングする方法もやってみた。鏡に向かって最高の笑顔を作ったり、「怖い人」を好きになろうと努めたこともあった。
…ただ、どれもあまりうまくいかなった。「怒られたくない!」という強烈な感情のほうが勝って、心臓バクバク・冷汗タラタラになってしまうのだ。
※ ※ ※
こんな経験を通して得た仮説は、ビビりはたった一つの「問い」で克服できるということだ。ビビりとは、外からの刺激に対して心が過剰に反応し、恐怖バロメータが反射的にMAXまで上昇してしまう状態だと思う。しかし、少なくとも自分の場合、ある「問い」を常に意識し、漬物石のように心の底に置いておくことで、心の過剰反応を防げることに気がついた。
「客観的に見て、それはリスクか?」
これが、僕がたどり着いた答えだ。常にこの問いを自分に発し続けることで、ビビりは克服できる。ここでいうリスクとは、「人生にとって大きなデメリットをもたらす可能性がある」というような意味として捉えてほしい。「最悪の事態を想定した場合に、人生にとってダメージが大きい」と言い換えてもよい。
本当にリスクなのであれば、恐怖心が湧いても仕方ないし、最悪の事態を避けるために手を尽くさなければならない。反対に、客観的に見てそれほど大きなリスクでないのであれば、心配するだけ無駄だ。「最悪の事態が起きてもしゃーなしやでー!」とエセ関西弁の一つや二つ独りごちて、気楽に構えればよい。ここで大切なことは、「瞬間的には超大きなリスクと思えることでも、冷静に考えると実はリスクではない」ことがこの世には溢れているということだ。
※ ※ ※
上の人から怒られることは、たしかに嬉しいことではない。
しかし実は、人生の価値という観点から見ると、「怒られる」ことによるリスクは意外と小さい。誰かに怒られたからといって、それによって心身を害したり、収入が減ったり、チャンスを逃したり、夢に挫折したり、愛する人を奪われたり、能力を低下させられたりすることはあまりない。むしろ、「ビビる」ことによって萎縮し、憂鬱さに心が占領される場合の方が、左に挙げたリスクが現実化する可能性は高くなるだろう。
俊足が売りの2軍のプロ野球選手にとって、堅実なプレーを好む2軍コーチに盗塁失敗を怒られる場合と、怒られるのを恐れて全く盗塁にチャレンジしない場合とでは、彼の人生にとって、どちらがより大きなリスクだろうか。
※ ※ ※
怒られるのは恐い。でも、怒られた場合の最悪の事態を想定し、「客観的に見て、それはリスクか?」と自分に問いかけた場合、最悪の事態が人生に与えるダメージは驚くほど小さいことに気がつく。そして、ビビることに時間や心的エネルギーを費やし、人生にとって本当に価値あることにそれを使えないことの方が、リスクであるといえる。
自分の場合、無理してポジティブになろうとするよりも、冷静に、客観的に観察する方が、ビビりから抜け出せることに気がついた。
自分が誰かに怒られている場面を、いま流行りのドローンで空中から眺めてみよう。それまで恐怖で怯えていた場面も、意外と滑稽に見えては来ないだろうか。